さいとうこうたろう物語

食にまつわる仕事をする人間が、日々の出来事を軸を持って眺めてみたい。

ムダなことを積み上げるということ 2016/03/14

はいさい。

コーヒーの飲み過ぎでカフェイン中毒になるということを久しぶりに思い出したさいとうですb

CMというのはなかなか人間の本能というか、感性に訴えかけるものが多くて、見ているといろいろと興味深い。そんなCMのヒットを手がけているクリエーティブディレクターの岡康道さんのインタビューがあったので、その分解をしてみる。

www.nikkei.com

彼の短いインタビューの中で、興味深いセリフがあったので抜粋。「企画というのはだいたい何かを変形させていく作業なのだから、十分なベースがないとできない。」これはまさにそのとおりだと思う。

彼はムダなことを積み上げるという表現で、このベースの強化を表現している。確かに現代社会において、発想力というのはつなげるものだということは言われたことがある。専門化、細分化していく中でいうなれば縦割りの知識の集積が積み上がっているということを考えればそれをいかに横に組み合わせるかということが求められるのはそうなのだろうと思う。

例えばITという技術を考えれば、ITには分野がない。どの分野においてもITというのは価値を提供できる。これとおんなじように、一つの分野の考え方を他の分野へ広げていくということをできるようになればそれは発想として素晴らしいものとなると思う。一つの分野ではレガシーな発想であるかもしれないが、それが他分野においてはそうであるとは限らない。ならば「ムダを積み上げる」こと、すなわち、自分の理解の範囲を広げることが発想力を強化するということに疑いはない。

結局のところ経済活動が人ありきであることを考えると、人が創造したものはすべて人に還元できる。それがちょっとした工夫であったり、感情の発露であったりと多岐にわたりなかなか分類することは困難ではあるが、こういった要素の抽出から詳細への演繹、類推が知識として凝り固まることを防ぎ、社会を推進するということになる。

企業に努めて時々思うが、専門的、ニッチになればなるほど、やり方や思考が凝り固まる。組織として存在する以上、一旦リセットしよう!なんてことはなかなか実現しないのだが、時々一旦リセットを考えるようにすることは大切だと思う。

既存の流れは確かにあることをやるには効率的だと思うが、それ以外のことをやろうとした時に専門的すぎて応用が効かないなんてことが起きうるからだ。

汎用性を求めればそれはそれで煩雑さであったり非効率を生むことになる。したがって、何かをするときにムダを積み上げておき、大きな視点から物事を俯瞰し、詳細を理解するという作業が必須となる。

したがって、無駄と思われることも一生懸命理解するという作業はいづれ役に立つものとなるだろう。端的に言えば一つ一つ一生懸命生きなさいということなのだが、もっと分解すれば、得た知識、得た観点の要素を自分の中で利用してみるという作業があればいいのでは?と思う。

面白い話で、自己啓発系の本を読む人の殆どが、その内容を実践しないままにしてしまうという。なので、自己啓発なり何なりを呼んだり見た時にその知識であったりを実践してみる。映画なんかを見たときに、その時の状況や出演者の考え方、クリエイターの捉え方をアウトプットするというささやかな努力を積み重ねるということで、吸収し、身になると思う。