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さいとうこうたろう物語

食にまつわる仕事をする人間が、日々の出来事を軸を持って眺めてみたい。

ジャパニーズスタンダードは高品質なのか、過剰サービスなのか 2015-12-26

はいさい!

海外から入ってくる輸入品というのは基本的に輸出国の「輸出グレード」を満たしたものが国外へと出荷される。従って、国内で流通しているものより、基本的に品質が高い。商品という観点で考えればわかりやすいが、サービスという観点ではどうなのだろう。

もちろん、サービスは即時性があり生産と同時に消費されるものであるから、日本国内のサービスは日本国内で消費されるものがほとんどだ。なので、海外のサービスと直接比較するのは難しい。外資系の飲食店が国内でも見られるが、それもある程度日本式にカスタマイズされているので、やはり直接の比較は難しいだろう。

ジャパニーズスタンダートがどういったものであるかを考える必要はあるが、単純にどちらが優れているかという問題にするのは危険であるということはことは断っておくべきだろう。例えば海外にはチップという文化があり、店員のサービスに対して感謝の値段を含めるというものだ。これは日本ではあまりみない。したがって、飲食店でサーブする人の金銭的モチベーションに影響がある。そして、仕組みを変えてしまう。

では、ジャパニーズスタンダードは過剰サービスなのかという点だが、これを分析するにはそのサービスが金銭的に評価が可能かということを考えるべきであろう。

例えば、飲食店で考えてみる。

雇用されている人間が親切心から一人の顧客に余分に時間をかけることは時給という観点から見るとその人の作業能率を下げることになる。単純にこなす量として考えるならばその人がやっていることはやるべきではないとなる。

ところが、仕事には量以外にも質という判断基準が存在する。その過剰とも言えるサービスにより、リピーターを増やすことができるのであれば、それは店舗の売上を安定させることにより、利益となる。

ということで考えると、受け手がそのサービスに対してありがたいものであると考えるかどうか。それが判定基準となるのだろう。

しかしながら、そのサービスにより売上が増えるということがわかり、それを真似するようになるとそれが基準となってしまう。すると質が均一化してしまい、ありがたきものとなってしまうと、結果的には作業効率を低下させたという結果のみが残ってしまう。

しかし、このサービス部分の向上は人間にしかできない部分であるので、価値であると思う。だから、ジャパニーズスタンダードは高品質を追求するべきだろう。そして、自動化の性能を上げて、それに対応する。そういうプラスのサイクルを意識することによって、日本は生き残れると思う。

牛丼屋のように、単価の低い店舗では自動で注文できるような仕組みを取り入れ、人の介在する部分を減らし、単価を減らすという工夫も必要だと思う。人間のする部分、質、ノウハウ、それらを含めて向上させていき、人にできる部分とそうでない部分を分けて、より高い品質を追求する。それがジャパニーズスタンダードの生き残る道だと思う。

したがって、過剰サービスを過剰と捉え削減する対象とするのではなく、余分なものとするのではなく、分析をして、それらを向上させていく。それがこれからの世の中に必要なものだと思う。